キャリアとしての成功、組織としての成功(後編)

株式会社パソナテック執行役員 粟生 万琴 (あおう まこと)氏

前回は、株式会社パソナテックで女性執行役員として活躍している粟生 万琴氏の『自分で描くキャリア』を紹介した。今回は、粟生氏が働く、パソナテックの『人を活かし、人を育てる組織』について紹介する。

組織の力を引き出すチームのあり方

自分で立ち上げた事業には、楽しさと責任感がある

パソナテックへ転職した当初は、気づかず仕事にのめり込んでいたという粟生氏。2005年から2007年の間は、中国大連の理工系学生を日本でインターンシップさせるというプログラムの立ち上げを行っていたこともあり、2007年までは会社中心の生活をしていた。あっという間に35歳目前になり、”出産しなきゃ”と思ったそうだ。30歳までで第1子、35歳までで第2子を出産しようと考えていた彼女だったが、仕事が楽しいのと、悪性の腫瘍が見つかったことで、その予定は狂ってしまう。

31歳の時、ベトナムに出張する機会があったのですが、ベトナム行きの飛行機でお腹が痛くなって、それがずっと治らなかったんです。で、帰って病院に行ったら悪性の腫瘍が見つかり、2回手術することになり、入院してしばらく仕事をお休みさせていただきました。本来はパソナテックに入ってから2-3年で産めばいいかなと思っていましたがあっという間に35歳が目前に迫り、産みたいと思いました。

そんな経験をしてまで、なぜ復帰しようと思ったのか。

自分で事業を立ち上げたので、責任感がありました。仕事が楽しくなって、自覚が生まれました。


自分の経験が、社内の在宅勤務の下地になった

自身が矢面に立ってるということが、彼女の思考を変えたという。出産後は育休を3ヶ月取得し、その後3ヶ月は在宅勤務をしていたという彼女。しかも驚いたことに、当時在宅勤務の前例は少なかったという。

実は在宅勤務は、自ら希望したわけではないんですよ(笑)。 出産がすごく大変で産後の体調がよくなかったんです。そして体調不良が続くと精神的にも少し暗い気持ちになってしまいました。多くの女性が経験するマタニティーブルーが自分にも来たと思いました。このままじゃ絶対復帰できない、これはダメだと思って2ヶ月目からベビーシッターを雇うことにしました。

体力的なことがあり、最低半年は育休を取る予定だったという彼女。しかし、部署の人員が足りなくなったことがきっかけで、復帰を決意する。さらに在宅勤務期間中、自分が在宅勤務のロールモデルになれればと思い、システム面、仕事内容、適した住環境、性格などをまとめてレポートとして提出したというから驚きである。彼女は自身の経験や、社内の女性の出産や子育ての状況を知ることによって、結果的に社内の在宅勤務の下地を作ったのである。

風土があって、制度が作られて、定着化する

現在、育休後の復帰率がほぼ100%であるというパソナグループ。現在日本の法律では育休は半年だと決まっているが、社内の実態はどうなのだろうか。

子供がいる社員が働きやすいよう、パソナ本部内には託児所がある。

子供がいる社員が働きやすいよう、パソナ本部内には託児所がある。

だいたい皆さん1年ほど育休を取って復帰されます。復帰してくるのが当たり前なんです。例えば私の前職だと、SEの育休取得率も少なかったし、育休を取ったとしても、その後の復帰率が結構低かったんですよね。だけどパソナグループの場合は、そもそもマジョリティが女性で、目の前に復帰して活躍しているお母さんがいる。そうなるとそれが、企業文化として定着してくるんです。


企業文化は一朝一夕で定着するものではない。いくらパソナのグループ会社とはいえ、IT業界でなぜそれが実現できているのだろうか。

パソナ自体ができた理由も、もともと創業者の南部 靖之が働きたい女性を応援したいという思いから創業した影響も大きいと思います。もともと働く女性を支援する風土があって、そこに制度が作られて、それが定着化しています。

この風土から派生した社内の取り組みは、社内託児所はもちろんのこと、ベネフィット・ワンというグループ会社が行っている福利厚生サービスの一環として、育休中の女性に対するコンシェルジュのようなサービスや、ベビーシッターや家事代行の補助金制度など多様である。彼女もこの制度を使い、子供が生後2ヶ月の時からベビーシッターを活用したそうだ。

文化と制度の両方が、女性が活躍できる環境を作る

海外の働く女性を多く見てきた彼女は、働く女性の違いをどのように捉えているのか。

中国の一人っ子政策世代の女性の多くはとても自立していると感じます。ずっと働くのが、新卒の時からベースにある。タイは女性のキャリア志向が定着しつつあると思います。国によって女性をとりまく状況は全く違います。

私の従兄弟がシリコンバレーいるのですが、彼女は日本だと昇格が遅れるのを理由にアメリカのベンチャーキャピタルに転職しました。日本だとどうしても能力が同じだと、上司は男性を先に昇格させる文化がまだある、と。ただ久しぶりに会ったら、彼女は仕事を辞めていたんです。

アメリカには日本のような小さい子を預けられる施設がないので、ベビーシッターを雇うしかない。彼女の家庭は共働きなんですが、それでも自分自身の収入と、住環境や子育てにかかる費用のバランスを考えると、子育てに集中するために退職したそうです。日本の女性は子供を預ける制度があって、働くことを選べる環境にあるにも関わらず、その有難さをわかっていない気がします。

彼女の従兄弟によると、生活費が非常に高いために、アメリカでは女性が仕事と家庭の両立が困難な場合もあるようだ。制度には恵まれているが文化がない日本と、文化はあるが制度が伴っていない諸外国。女性が働き続けるには、文化と制度の両方が必要だ。


ライフイベントや場所に捉われずに働ける環境を広げていく

もちろん、日本は制度があるからと、安心してはいられない。少子高齢化が著しく進む中で、産業構造や国内の市場自体が変化すれば、今までとは違った働き方、価値の生み出し方が求められる。そういった意味でも、エンジニアやクリエイターが創造できる価値は大きい。

パソナテック執行役員 粟生 万琴氏

育休中にまとまった時間が取れたので、自分のライフプランについて考えたんです。働いてないとできないことって何だろうって。そこで、社長に自分がやりたいことを伝えました。エンジニアやクリエイターが、ライフイベントや場所に捉われずに働ける環境を作り、それを広げることです。東京中心のIT業界を、地方にもっと広げていきたいって。 出産などのライフイベントによってクリエイターを辞めてしまう女性も周りにいたので、彼女達を再雇用できるラボを作りたいということで新規事業を立ち上げました。

こうして、2010年に名古屋までのアクセスが良く、情報産業に力を入れている岐阜で、産官学で連携して行う人材育成モデルを立ち上げた。この事業で育ったエンジニアは400人を超える。当時はリーマンショック直後で景気が悪く、エンジニアが流出していた。そこで、彼らに新しいテクノロジーのトレーニングをして、雇用につなげていった。現在、エンジニア達を支援する拠点は岐阜以外にも佐賀や名古屋にあり、今後もさらに展開していくそうだ。今後パソナテックとして、どういった支援をしていくのか。

キーになるのは、育成だと思うんです。テクノロジーを使う人を増やす、ITリテラシーの教育はもちろん、エンジニアやクリエイターになりたいと思う人を世界中で増やしていきたいです。それでタイに拠点を作りました。


クリエイティブ能力やマーケティングデザイン能力を持つ人材が世界を変えていく

パソナテック執行役員 粟生 万琴氏

パソナテックが海外で行っているエンジニア、クリエイターの育成事業の拠点は東南アジアを中心に世界に広がっている。そこでは、単なるテクノロジーのスキルだけではなく、プロジェクトチームの考え方なども教えている。 今後日本がグローバルで戦っていくためには、既存のエンジニアだけではなく、ツールとしてのテクノロジーを活用してビジネスを生み出す、デザイナーやクリエイターの必要性が高まっていくと考える。しかし、日本のクリエイターの人口はまだ少ない。彼女はクリエイターの課題をどう捉え、どう解決していくのだろうか。

今まで、エンジニアとクリエイターの両方の支援をしてきましたが、マジョリティはエンジニアでした。エンジニアは理工系だけではなく、文系からもなることができるので母数が多い。日本のスタートアップもテクニカルスタートアップが多いです。

しかし、海外を見ると、今後はUIやUXのような、クリエイティブ能力やマーケティングデザイン能力を持つ人材が世界を変えていくんじゃないかと思っています。そのために、芸大生をスタートアップに送り込めるようなインターンを考えています。日本は芸大が多いので、そのDNAをうまくビジネスに活かす仕組みを作りたいなと考えています。




ライフイベントに合わせた柔軟な働き方を会社としても実践し、事業としても世界をリードする人材の育成を行っているパソナテック。「社会の問題点を解決する」という理念が、様々な形で活躍できる組織の風土を作り、その結果事業自体も新たな雇用機会を創造していると考えられる。様々な人が、様々な形で、様々な場所で働ける環境を作ることこそが、この会社を成長させ、組織の力、可能性を最大限に発揮させているのである。